日本バスケットボールで、背番号27番のスモールフォワードとしてメダル獲得を果たした林咲希(はやし・さき)さん。
東京オリンピックでも大活躍中の林咲希さんですが、高校や大学は小中学校はどこを卒業しているのでしょうか。
今回は林咲希さんの学歴まとめとして出身高校や大学を中心に、中学・小学校までたっぷりとお届けします。
もくじ
林咲希の高校や大学 学歴まとめ

林咲希さんの学歴をまとめました。
- 大学:白鴎大学
- 高校:精華女子高校
- 中学:前原中学校
- 小学:雷山小学校
それぞれ学生時代のエピソードやバスケの成績も合わせてご紹介します。
林咲希の出身高校は精華女子高校

学校名 | 精華女子高等学校 | |
---|---|---|
所在地 | 福岡県福岡市博多区住吉4-19-1 | |
偏差値 | 39~47 |
林咲希さんの出身高校は、精華女子高等学校です。
精華女子高等学校の偏差値は39~49で、仏教精神に基づいた学校です。
バスケ強豪校

精華女子高等学校のバスケットボール部は、バスケが盛んな福岡県でも有名な強豪校。
インターハイに出場するなど、毎年優秀な成績を残しています。
精華女子高校バスケ部OGには、元バスケットボール選手の金原彩姫(かねはらさき)さんなどが在席していました。
- U-18日本代表選手
- 所属:トヨタ自動車
- 2015年現役引退
林咲希さんはバスケ部のコーチからの誘いと、バスケ部の雰囲気が気に入ったため、精華女子高校に進学したそうです。
精華女子は寮もありますが、林咲希さんは自宅通学。
通学時間は片道1時間強かかるそうで、毎日朝5時半前には電車に乗っていたとのことですよ。
強豪校での成績

バスケ強豪校の精華女子高校入学後、林咲希さんは1年生の頃から試合に出場していました。
ただ練習の厳しい記憶が強いあまり、試合の記憶があまりないそうです。
- 1年生:インターハイ ベスト8
- 2年生:インターハイ不出場
- 3年生:インターハイ ベスト16
3年間、ウィンターカップの出場はしていません。
バスケどころの福岡では、県内の試合を勝ち抜いていくのが難しかったようです。
自主練に目覚める

中学でもバスケットボールをしていた林咲希さんですが、高校に入ってすぐに自主練の楽しさに目覚めたそうです。
私は高校で自主練習の楽しさを教えてもらったので、一人でやる自主練習の時間が好きでした。だから早く体育館に行って、早く練習をしたいという気持ちが勝っていたのだと思います。
(引用:バスケットボールキング)
バスケ強豪校の精華女子高校は上手くて強い先輩がたくさんおり、一緒に練習しながら林咲希さんのモチベーションをあげてくれただとか。
素敵な先輩に恵まれたからこそ、林咲希さんはバスケの上達が早かったのですね。
高校時代のポジションは?

林咲希さんは日本代表でシューターとして活躍していますが、高校時代のポジションはシューターではなかったそうです。
高校では4、5番ポジションで、インサイドプレーもやりました。
(引用:バスケットボールキング)
- 4番:パワーフォワード
- 5番:センター
高校時代の林咲希さんは、ゴール下で活躍することが多いポジションだったようです。
シューターとしての才能

高校入学当初のシュートは打ち急ぎ、よくシュートを防がれていた林咲希さん。
高校時代の監督の指導によりフェイントをかける練習を取り入れ、冷静にシュートが打てるように変わっていったんだとか。
高校時代に磨かれたシュート力が、東京オリンピックでの3ポイントシュートに繋がったのですね。
林咲希の出身大学は白鵬大学

学校名 | 白鷗大学 |
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所在地 | 栃木県小山市駅東通り2-2-2 |
偏差値 | 40~45 |
白鷗大学は英語による授業を重視しており、語学の支援が強化されている大学です。
走るのが得意な林咲希さんですが、白鷗大学に入学した理由は「走るスタイルのバスケットに憧れて」とコメントしています。
大学時代は寮生活をしていたようですよ。
大学時代の成績は?

林咲希さんは白鷗大学進学後、1年生から試合に出場しています。
- 1年次:インカレ3位
- 2年次:インカレ準優勝
- 3年次:インカレ準優勝
- 4年次:インカレ優勝
大学4年間すべてインカレ出場している、林咲希さん。
3年次にはユニバーシアード日本代表に選出され、4位に輝いています。
インカレ褒賞の使い道

4年次にインカレで優勝した際はMVP・得点王の称号を獲得するなど、大学のエースとして活躍しました。
インカレでMVPなどの称号を獲得すると、褒賞で家電をもらえるそうです。
ーーMVPや得点王になり、多くの家電をもらいましたが使い道は?
寮生活なのでご飯も出ますし、テレビもあるので、実家に送って家族にあげます。これで親孝行がちょっとはできたかな。
(引用:バスケットボールスピリッツ)
林咲希さんのご家族の方も、とっても喜ばれたのではないでしょうか。
大学時代のポジションは?

高校時代には4番5番ポジションだった林咲希さんですが、大学では監督に「2・3番をやれ」と言われたそうです。
- 2番:シューティングガード
- 3番:スモールフォワード
シューティングガードもスモールフォワードも、得点に直結するポジションです。
高校まではセンターなどのゴール下での活躍が多かった林咲希さんは、大学入学後のポジション変更にとまどったと下記の動画でもコメントしています。
落ち着いた話し方やバスケットボールに対する姿勢などが、今の林咲希さんに繋がりますね。
白鷗大学を卒業後はENEOSサンフラワーズに所属し、ユニバーシアード日本代表選出された後銀メダルを獲得しています。
林咲希の出身中学は前原中学

学校名 | 糸島市立前原中学校 |
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所在地 | 福岡県糸島市篠原西2-2-1 |
林咲希さんは、糸島市立前原中学校を卒業しています。
前原中学校はバスケの強豪校というわけではなく、成績は地区大会2位ぐらいだったそうでう。
林咲希さんのチームは残念ながら弱かったようですが、夏休みは同じ地区の1位チームの練習に参加していました。
中学時代のプレースタイル
中学時代のポジションは高校と同じ4,5番でしたが、いろんなポジションをまわるオールラウンダープレーヤーだったようです。
――中学時代の得点パターンで多かったプレーは?
林 ジャンプシュートですかね…。
ドライブからストップジャンプシュートというプレーを良くしていたと思います。
中学の時はインサイドプレーはしていなかったです。
(引用:バスケットボールキング)
中学時代の林咲希さんも、チームの得点獲得に大きく貢献していたようです。
林咲希の出身小学校は雷山小学校

学校名 | 糸島市立雷山小学校 |
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所在地 | 福岡県糸島市蔵持810-1 |
林咲希さんは雷山小2年の時に、「雷山ミニバスケットボールクラブ」に入部しています。
雷山ミニバスケットボールクラブは、父・林豊樹さんが創設したクラブです。
亡き父へ

林咲希さんにとってバスケの恩師でもあった父親・豊樹さんは、2019年に病の為53歳の若さでお亡くなりになっています。
林咲希さんが24歳の時でした。
小学校のとき、林は短冊にこんな願い事を書いた。
「プロバスケットボールの選手になって、オリンピックに出たい」
(引用:西日本スポーツ)
ミニバスケットボールでコートを駆けていた林咲希さんは、東京オリンピックの大舞台を駆ける選手へと成長しました。
そんな娘の姿を、きっと林咲希さんの父親・豊樹さんも喜んでおられるのではないでしょうか。
まとめ
今回は林咲希さんの学歴まとめとして、出身高校のほか、大学や中学・小学校についてお届けしました。
チームを救った林咲希さんの逆転シュートは、高校の時に培われたものだったんですね。
今後の林咲希さんの活躍を応援していきましょう。
