東京五輪にも出場の、イケメンスケボー選手・堀米雄斗さん。
堀米雄斗さんの父親は現役のスケボー選手なんだとか。
堀米雄斗さんの父親の経歴や現在の職業も含めて、たっぷりお届けしていきます。
もくじ
堀米雄斗の父親の現在の職業は?お金持ちの噂の真相は?

- 堀米亮太
- 生年月日:1974年10月11日
- 年齢:46歳(2021年7月現在)
- 出身地:埼玉県八潮市
堀米雄斗さんの父親・亮太さんの年齢は、2021年現在46歳。
父親・亮太さんの現在の職業はタクシー運転手です。
スケートボードをしていたタクシー運転手の父、亮太さん(46)に連れられ、物心つく前から公園でスケボーに乗っていた。小学生の時から海外の大会に参戦。
引用元:読売新聞 https://news.line.me/articles/oa-yomiurishimbun/bb2602f6c465
お金持ちの噂の真相は?

スケートボードはお金がかかり、堀米悠斗さんは海外に遠征もしているので、父親はお金持ちなのではないかという噂もありました。
ですが、実際には堀米悠斗さんの父親・亮太さんは裕福ではなかったようです。
タクシー運転手の年収は、全体平均より低い傾向にあるのだとか。
約358万円
ですが、一方でスケートボードはとてもお金のかかるスポーツです。
- スケートボード用シューズ:平均6,000~10,000円✖年間約50足
- スケートボード:平均20,000~30,000円✖50台
- 海外への遠征費用
さらに、堀米悠斗さんには2人の弟がいて、3人兄弟でスケボーをしていました。
スケボー費用に学費も3人分必要で、父親・亮太さんが稼がなければいけない金額は膨大だったはずです。
休み無く働いた父親・亮太さん

3人分のスケボー費用と学費のために、父親・亮太さんは休み無く働いたと言います。
「運転手の仕事をしていたゴメさんは、3人の息子の学費と雄斗の遠征費を稼ぐために同僚の車を洗うアルバイトを請け負っていた。冬場はあかぎれがひどくて、よく『いてえ、いてえ』ってこぼしてた。
引用元:毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20210718/hrc/00m/050/001000d
父親・亮太さんは、冬には赤切れでよく「手が痛い」と言ってたのだとか。
- 父親・亮太さんが稼いだお金
- 中学時代~スポンサーの支援
- 大会の賞金
- 海外遠征ではインスタで知り合ったスケボー仲間の家に下宿
これらを工面して、堀米悠斗さんはスケボーの腕を磨いていったと言います。
堀米悠斗さんや弟さんたちの現在は、父親・亮太さんが必死で働いて支えてくれていたものなんですね。
堀米雄斗の父親もスケボー選手!経歴は?

堀米雄斗さんの父親・亮太さんは、現在スケボーの現役選手でもあります。
父親はスケボー入賞歴あり

堀米雄斗さんの父親・亮太さんは、中学1年生の時にスケートボードをやっていた友人に触発され始めました。
堀米雄斗さんの父親・亮太さんは2,000円くらいのおもちゃのスケートボードからスタートし、スケートボードにはまっていったそうです。
高校受験で一度スケートボードから遠ざかったこともありましたが、堀米雄斗さんの父親・亮太さんは、大会で入賞するほどの腕前になりました。
一応当時100人前後がエントリーしてた大会で最高5位くらいに入賞したこともあったよ。
(引用:https://www.interstyle.jp/news/column_detail.php?id=131)
現在もスケートボードをしているとのことですので、本当にスケボーが大好きなんですね。
堀米雄斗のスケボーコーチは父親

堀米雄斗さんがスケートボードを始めたきっかけは、6歳の頃に父親・亮太さんに勧められたからだったようです。
何で他にも兄弟がいてユウトにスケートボードをさせたかって言うと。。直感かな?
こいつはロクなヤツにならなそうだから何かやらせた方が良いなって思ってね。(笑)
まぁ、何でも良かったんだよね、例えば空手とかサッカーとかでも。
だけどさ、自分もスケーターだからさ、だったら自分がスケートボードを教えれば良いかなって思ってね。
(引用:https://www.interstyle.jp/news/column_detail.php?id=134)
堀米雄斗さんにスケートボードの最初のコーチは、父親・亮太さんだったんですね。
毎日4時間、土日は8時間の練習を行っていたそうです。

現在の堀米雄斗さんは東京オリンピックに出場するほどの腕前を持つ選手ですが、スケートボードを始めた当初はあまり強くなかったのだとか。
ユウトは同じころにスケートボードを始めた同世代の子たちと比べると一番覚えが遅かったからね。
なぜならオレが基本しかやらせなかったから。(笑)
(引用:https://www.interstyle.jp/news/column_detail.php?id=134)
最初トリックは二の次で、毎度毎度基本を教えていました。
堀米雄斗さんの父親・亮太さんはご自身の経験から、スケートボードの基礎をとても大事にしていた、とコメントしています。
現在の堀米雄斗さんのスケートボードは、父親・亮太さんが教えてくれた基礎の上に成り立っているのですね。
堀米雄斗と父親のエピソードまとめ

堀米雄斗さんと父親・亮太さんの親子エピソードをご紹介します。
堀米雄斗の父親・亮太はスパルタ教育
堀米雄斗さんの父親・亮太さんは、スケートボードの教育に一家言持っています。
最初にスケートボードの厳しい部分を教えて、「嫌になるならやめちゃえばいいかな?」と思っていたそうです。
- カッコつける滑り方はやめろ
- 基本を守れ
- 周囲に流されず自分の滑り方で滑ればいい
- スケートボードが辞めたければ辞めればいい
- (泣く場面じゃない時は)そこは泣くとこじゃねーだろ、言っていた
堀米雄斗さんの父親・亮太さんは、いらない遠慮をして尻込みして滑らない、というのが一番嫌だったそうです。
自分の滑りたいように滑ればいい、という指導をしていたようですよ。
堀米雄斗の上達の秘訣

堀米雄斗さんの父親・亮太さんの厳しい指導に対して、堀米亮太さんはこのようにコメントしています。
――うまくなった理由は?
「お父さんの教え方ですかね。
僕はいまコンテストではストリートという種目を主にやっているんですけど、本格的に始めたころから6年くらいは、バーチカル(スノーボードのハーフパイプのような半円形上のもの)で練習していたんですよ。
バーチカルで体の使い方とかバランス感覚、基礎になる部分を学んでからストリートに、っていう他のスケーターと違う入り方をしたので、それが良かったんだと思います」
(引用:https://victorysportsnews.com/articles/7442/original)

- バーチカル:半円上のハーフパイプを往復しながら、トリックを競う種目
- ストリート:町中にある階段や斜面、手すりを模したコースで競う種目
バーチカルで基礎を徹底的に叩き込まれた堀米雄斗さんだからこそ、ストリートでのトリックが生きてくるのかもしれませんね。
堀米雄斗のスケートボードの原点
僕がスケボー初めた公園 pic.twitter.com/mxCZ1Nm8Ts
— 堀米雄斗 (@yutohorigome) March 14, 2019
堀米雄斗さんがTV番組「スッキリ」に出演した際、このようにコメントしています。
「お父さんがよくスケボーしに行く公園とかスケボーパークについていって、座って乗ったりして遊んでいました」
父親・亮太さんも過去のインタビューで同じように話していることから、このスケートボードを始めた時期が一番の親子の思い出となっているのではないでしょうか。
堀米雄斗のプロフィール

堀米雄斗さんのプロフィールをご紹介します。
- 生年月日:1999年1月7日
- 職業:スケートボード選手
- 出身地:東京都
堀米雄斗さんの輝かしい戦績はこちら。
- 2014年:日本スケートボード協会 年間グランドチャンピオン
- 2015年:日本スケートボード協会 年間グランドチャンピオン
- 2017年:OI STU OPEN 2017 – 優勝
- 2018年:Street League WORLD TOUR LOS ANGELES – 優勝
2016年には「スケートボードの本場で活躍しないと注目してもらえない」という思いから、アメリカ国ロサンゼルスに移住しています。
他人の真似をするのではなく、自分から人と違う技、誰にもでできないような技に挑戦してきた、堀米雄斗さん。
2020年には東京オリンピックのスケートボード選手として選ばれ、活躍しました。
まとめ
今回は堀米雄斗さんの父親・亮太さんの名前や年齢、スケートボードにまつわるエピソードについてたっぷりお届けしました。
現在の堀米雄斗さんのスケートボードの原点は、父親・亮太さんの指導の上に成り立っていたものだったのですね。
今後の堀米雄斗さんの活躍を応援していきましょう。