野球界のビックボス、新庄剛志(しんじょう・つよし)さん。
そんな新庄剛志さんの父親は植木職人で、酒好きの破天荒だったという噂も。
今回は酒好きで破天荒、植木職人でガンだったという新庄剛志さんの父親をたっぷりとご紹介します。
もくじ
新庄剛志の父親は植木職人でガンだった?顔画像はこちら

新庄剛志さんの父親・英敏(ひでとし)さんをご紹介します。
- 生年月日:1941年生まれ
- 没年月日:2011年8月5日(享年70歳)
- 出身地:福岡県筑後市生まれ
- 職業:植木職人
新庄剛志さんの父親・英敏さんは、福岡県筑後市うまれ。
生まれ故郷の福岡市内に昭和47年『新庄造園』を創業し、植木職人として地元に貢献し続けました。
そんな新庄剛志さんの父親英敏さんが創業した、新庄造園をご紹介します。
父親英敏が経営の新庄造園はこちら

名称 | 新庄造園 |
住所 | 福岡県福岡市南区長住1丁目2-40 |
新庄剛志さんの父親・秀俊さんは、新庄造園で植木職人として働いていました。
亡父は植木職人で、小さい頃から木材運びなどを手伝っていたことで握力がつき、片手でリンゴが握りつぶせるほどになったという。
(引用:スポニチ)
新庄剛志さんの父親・英敏さんは、小さい頃から木材運びを手伝っていたんですね。
片手でリンゴがつぶせるとは、すごい握力の持ち主だったようです。
新庄剛志のグローブ

そんな新庄剛志さんの父親・秀俊さんは、仕事で使うはさみなどの道具を、とても大切に手入れして使用していたんだとか。
「親父は仕事終わった後に、ハサミとかを毎日手入れして、道具を大事にしていたの」と新庄氏。
(引用:スポニチ)
新庄剛志さんが現役時代7500円のグローブを愛用し続けた話は有名ですが、新庄剛志さんが道具を大切にする精神は父親秀俊さんから譲り受けたもののようですね。
父親・英敏の夢はプロ野球選手だった

野球ファンのみならず多くの人を魅了し続ける、新庄剛志さん。
そんな新庄剛志さんを育てた父親・秀俊さんは、小さい頃からプロ野球選手になるのが夢だったんだとか。
私が巨人ファンで、プロ野球選手として巨人でプレーするのが夢だった。
(引用:ポストセブン)

新庄剛志さんの父親・英敏さんは『巨人』ファンだったんですね。
プロ野球選手になりたかった新庄剛志さんの父親英敏さんは、過去に盲腸破裂で結膜炎を起こし、運動が出来ない体になってしまったんだそう。
夢を諦めざるを得なかった思いもあり、新庄剛志さんにソフトボールや野球を続けさせた…とコメントしています。
2011年にガンで逝去

そんな新庄剛志さんを見守り続けた、父親・英敏さん。
2011年に食道がんの為、70歳の生涯を閉じています。
父英敏(ひでとし)氏が5日午前9時32分、食道がんのため死去していたことが8日、分かった。
(引用:日刊スポーツ)
新庄剛志さんの父親秀俊さんは、2009年頃から7度入退院を繰り返し、一度は完治していたようです。
父親英敏さんが亡くなったことを、新庄剛志さんはバリ島で聞いたんだそう。
バリ島で過ごす息子・新庄剛志さんのことを、父親英敏さんは最後まで案じていたのかもしれませんね。
新庄剛志の父親英敏のエピソード15選!破天荒で酒好き?

新庄剛志さんの父親秀俊さんはしっかりした子育てをしていた半面、破天荒で酒好きだった噂もあります。
今回はそんな新庄剛志さんの父親秀俊さんのエピソード15選まとめをご紹介します。
- 酒飲みだった
- 破天荒①
- 破天荒②
- 破天荒③
- 破天荒④
- 破天荒⑤
- 名付け方
- 勉強はしなくてよい
- 子育ては植木と同じ
- プロ野球取り消し事件
- 引退を引き留める嘘
- 頭痛薬は下痢止めだった
- 怪我してもポジティブ
- 息子の為に我慢
- 言い訳をしない
①酒飲みだった

新庄剛志さんの父親英敏さんは酒飲みだったという噂がありますが、
事実
のようです。
親父は仕事が終わると居酒屋に通うのが日課だった。
特に立ち飲み屋が大好きで、僕も小学校に上がる前から、よく連れて行ってもらった記憶がある。
(引用:わいたこら)
仕事が終わった後、午前2時3時まで居酒屋で飲んでいたんだとか。
新庄剛志さんもよく父親と一緒に、立ち飲み屋に訪れていたようですよ。
②破天荒・1

新庄剛志さんの父親英敏さんは『破天荒だった』という噂がありますが、
こちらも事実
のようです。
新庄剛志さんの父親英敏さんの破天荒エピソードをご紹介します。
喧嘩っぱやい

新庄剛志さんの父親英敏さんは、けんかっ早いところがあったそうです。
親父には喧嘩っ早いところもあって、ちょっとしたことで飲み屋のお客さんとよく喧嘩になっていた。
大人同士の喧嘩を見るのは怖かった。親父の喧嘩を見て泣いたのは、一度や二度じゃない。(引用:わいたこら)
飲み屋の客と喧嘩する父親を見るのは、幼い新庄剛志さんにとって怖かった…とコメントしています。
どうやら父親英敏さんの喧嘩は、一度や二度ではすまなかったようですね。
③破天荒・2

新庄剛志さんの父親英敏さんは、暴走族に乗り込んでいったことがあるんだとか。
暴走族が走っているところに、親父が「うるせーぞ!」と一人で乗り込んでいったことがある。
そのときは、ボッコボコにされて、あばら骨を折って帰ってきた。
それでも次の日には、普通に仕事をしていた。(引用:わいたこら)
暴走族に単身突っ込んでいくなんて、新庄剛志さんの父親英敏さん破天荒すぎます…。
そのまま暴走族にボコボコにされあばら骨を折りつつも、翌朝普通に仕事をしていたなんて、並みの精神力ではありませんね。
④破天荒・3

新庄剛志さんの父親英敏さんは高熱が出ても休まず、仕事に行っていたんだとか。
親父はひどい熱が出ても休もうとはせず、「これは病気じゃない」とか言って、普通に仕事に出掛けていた。仕事に行くだけじゃなくて、いつも通りに飲みにも行っていた。で、いつものように明け方近くに帰ってきた。
(引用:わいたこら)
しかも仕事帰りに居酒屋まで行っていたんだそう…。
新庄剛志さんの父親英敏さんの体力は、どうやら並外れているようです。
⑤破天荒・4

新庄剛志さんの父親英敏さんは、息子に断りもなく新庄剛志さんの事を書いた本を出版したようです。
僕がメジャーに挑戦したころ、断りもなく勝手に僕のことを書いた本を出版した。
(引用:わいたこら)

思いっきりタイトルに新庄剛志さんの名前が入ってます…。
息子のことを書いた本を出版する時に事前確認しない新庄剛志さんの父親英敏さん、さすがビックボスのボスですね。
⑥破天荒・5

こちらは新庄剛志さんの父親英敏さんと母親のエピソードです。
新庄剛志さんの父親英敏さんが、いつものようにお酒を飲んで帰ってきた日の事…。
- 父親英敏さんが「おい起きろ」と言いながら、母親を蹴った
- 日頃のうっぷんがたまっていた母親は、包丁を取ってきて、大声をあげながら父親英敏さんに向かっていった
- 父親が回避すると、母親は別の手で包丁を振りかざした
- 母親は取り押さえられ、事なきを得た
ものすごいバイオレンスな日常ですね…。
新庄剛志さんの父親英敏さんは反省したらしく、次の日から少し大人しくなったそうですよ。
⑦名付け方

新庄剛志さんの名前は、父親英敏さんが名付けてくれたんだそう。
1972年1月。 僕がオギャーと生まれたとき、親父は丸々と肥えている僕を見て、「こいつは将来相撲取りになる!」と喜んだらしい。
当時、強かった相撲取りのしこ名から「剛」という文字を取って「剛志」になったと聞かされた。(引用:わいたこら)
新庄剛志さんの名前は、どうやら力士から貰った名前とのことです。
肥えているから相撲取りになる…と父親英敏さんが喜んだ息子新庄剛志さんは、今もプロ野球界で活躍しています。
⑧勉強はしなくてよい

新庄剛志さんの父親・英敏さんは『勉強はしなくてよい』と、新庄剛志さんに教えていたんだとか。
『勉強はしなくてよいから、スポーツで突き抜けなさい』
と常に言っていたそうですよ。
新庄剛志さんの父親は、新庄剛志さんのスポーツの才能を見出していたんですね。
⑨子育ては植木と同じ

新庄剛志さんの父親英敏さん曰く、
子育ては植木を育てるのを同じ
なんだとか。
「子育ては植木を育てるのと同じ。…土壌が両親としたら、肥料は食事、水は愛情で、日光は環境。そして、剪定はしつけです。剪定はやらないといけないが、やり過ぎるのも問題。枝の剪定にも、切っていい時期といけない時期がある。褒めることと叱ることの使い分けが子育てには大切だと思います。水(愛情)をやり過ぎても根腐れしますしね。…」
(引用:ポストセブン)

『子育ては植木を育てるのと同じ』…名言ですね。
そんな植木職人だった父親・英敏さんに育てられた新庄剛志さん。
次は新庄剛志さんが『日本ハムファイターズ』を育てる番となりました。
⑩プロ野球取り消し事件

新庄剛志さんは、プロ入りする前、高校教師に手を出してしまったことがあったんだとか。
あわやプロ入り取り消しか?という事態にまでなったそうですが、父親が学校まで駆け付け必死に謝ってくれたそうです。
あのとき、親父は何時間もかけて広島からやってきた。
先生たちに必死に謝っている親父の顔が、どうしても忘れられない。(引用:わいたこら)
新庄剛志さんの父親英敏さんは、とても素敵な父親ですね。
⑪引退を引き留める嘘

阪神タイガースに在籍していた新庄剛志さんは、
- 1995年12月19日に『自分には野球に対するセンスがない』と引退宣言
- 3日後の12月21日に、引退宣言を撤回し阪神と契約
しており、当時大きな話題となりました。
どうやら引退撤回の裏には、新庄剛志さんの父親英敏さんがいたようです。

新庄剛志さんが引退について、父親英敏さんに相談すると…
- 父親英敏さんに引き留められるが、引退を宣言。
- 3日後、母親から『お父さん、倒れたよ』との連絡が入る
- 自分のせいで父親が倒れたと思った新庄剛志さんは、父親の為に引退を撤回
といった背景があったようです。
倒れた父親の為に引退撤回するなんて、なかなかできることではありませんよね。
とても感動する話なのですが、実は続きがあります。

引退撤回を聞いた記者が福岡に向かうと、飲み屋で一杯やっている親父を見つけたという。実は、親父の体の調子が悪かったのを、母ちゃんが「倒れた!」と大げさに言い、引退を思いとどまらせようと芝居を打ったらしい。
(引用:わいたこら)
倒れたと聞いていた父親の姿を居酒屋で見つけた記者は、ものすごくびっくりしたでしょうね。
父親英敏さんと母親の芝居に、新庄剛志さんは騙されたようです。
機転が利いて楽しい両親ですね。
⑫頭痛薬は下痢止めだった。
合気道の先生をしてたお父さんに、小学2年生の時に頭が痛くて頭痛の薬を頂戴とお願いしたところ甘えるな💢 しかし数秒後に今日だけやぞ と薬をくれた
喜んで薬を飲んだら2分で頭が痛いのが治った
お父さんに有難うと伝えたら、剛志 人間気持ちばいその薬は下痢止めだった
— 新庄剛志 (@shinjo_freedom) November 23, 2021
頭が痛かった新庄剛志さんは、父親英敏さんから薬を貰ったんだそう。
飲んだらすぐに良くなり父親に感謝したら、その薬は『下痢止め』だったんだとか…。
『人間気持ちばい』
と言える新庄剛志さんの父親英敏さん、イイ性格しています。
⑬怪我してもポジティブ

新庄剛志さんは中学時代に大けがをして、野球人生を諦めた時があったんだとか。
中学時代の授業中、人差し指に大ケガをしたことを告白。野球人生を諦めた新庄に、父親は「お前この指、野球で使わんねぇが!」と、まさかの言葉をかけて、新庄もなるほどと納得。「ポジティブって気持ちを教えてもらった」と語る。
(引用:まいなび)
怪我をして野球人生を諦めかけた息子に、
「お前この指、野球で使わんねぇが!」(お前この指、野球で使わねぇだろう)
と言い切ってしまえる父親英敏さん。
しびれます。
⑭息子の為に我慢

新庄剛志さんの父親英敏さんは、新庄剛志さんの為に、仕事で使う軍手を買わずに新庄剛志さんの革手袋を購入してくれたんだとか。
「お父さんは、仕事に使う軍手のお金で、あんたの手袋を買ったんだよ。素手で仕事をしていたからやろ」
親父、マジでありがとうと思った。
(引用:わいたこら)
息子想いの素敵な父親エピソードですね。
しかし父親英敏さんに感謝する一方で、新庄剛志さんは、
軍手のお金くらい仕事をして稼げよ、とも思ったけど。
とコメントしています。
…確かに…。
⑮言い訳をしない

新庄剛志さんの父親英敏さんは、仕事に言い訳をしない人だったんだとか。
どんなに帰りが遅くても、翌日は寝坊なんてしないで、朝6時には起きて仕事に行っていた。睡眠時間は2~3時間。
やっていることはめちゃくちゃだけど、「疲れた」とか「今日は休み」なんて絶対に言わないところは尊敬していた。(引用:わいたこら)
破天荒と言われつつも、真面目な性格であることが判明している新庄剛志さん。
仕事に対して妥協しないところは、父親英敏さん譲りなのかもしれませんね。
まとめ
今回は酒好きで破天荒、植木職人でガンだったという新庄剛志さんの父親をたっぷりとご紹介しました。
新庄剛志さんの父親英敏さんは確かに酒好きで破天荒でしたが、とても素晴らしい父親だったということが判明しました。
今後も新庄剛志さんの活躍を応援していきましょう。