東京オリンピックの陸上男子400mリレーで決勝にも進出された山縣亮太さんは、父親・母親と兄が1人の4人家族です。
中でも、山縣亮太さんの父親はスポーツ用品店の社長で、山縣亮太さんへの応援も熱心でかわいいと話題になっているとか。
今回は山縣亮太さんのご家族について、父親・母親・兄について調査しました!
もくじ
山縣亮太の家族構成はこちら

山縣亮太さんの家族構成はこちらです。
- 父親…山縣浩一(61歳)
- 母親…山縣美津江(64歳)
- 長男…山縣昌平(31歳)
- 次男…山縣亮太(29歳)
(年齢は2021年8月現在)
それでは、もう少し詳しく山縣亮太さんのご家族をご紹介します。
山縣亮太の父・浩一はスポーツ店社長!顔画像は?
山縣亮太さんの父・浩一さんをご紹介します。
- 名前…山縣浩一
- 生年月日…1961年前後
- 出身校…修道学園
- 職業…株式会社ニシヒロの社長
(年齢は2021年8月現在)
山縣亮太さんの父・浩一さんは、広島でスポーツのニシヒロの社長をしています。
- スポーツ用品や、学校体操服の販売
- 地元広島のサッカーチーム・サンフレッチェ広島のグッズも取り扱い中
- 本社の移転、新しい事業をスタートなど事業拡大中
広島に根差したお店を目指しつつ、事業拡大中の敏腕社長のようです。

山縣亮太さんの父親・浩一さんのお店には、山縣亮太さんの横断幕が。
さらに、スポーツのニシヒロのホームページでは、山縣亮太さんの特集ページを組むなどして、息子である山縣亮太さんを応援しています。

山縣亮太さんが辛いときや苦しいときは、父・浩一さんと一緒に釣りにいってリフレッシュするそうです。
山縣亮太さんの父・浩一さんの育児論
そんな山縣亮太さんの父・浩一さんは、子育てをするときに気をつけていたことがあるそうです。
それは、『誉め続けること』!
「勉強をやりなさいと言って、亮太の悪いところは当然怒るんですけど、陸上で怒ったことはない」
と幼い頃を振り返った。
どんどん記録を伸ばした中で、子育てでは「褒め続ける」ことを意識していたという。
(引用:THEanswer
https://news.yahoo.co.jp/articles/59f1adfca37360341158b6df874dbeae4b75fd71 )
父・浩一さんは、誉め続けることで、山縣亮太さんの才能を伸ばしサポートしてきました。
そんな父・浩一さんの願いは、息子の走る姿に見ることができます。
「9秒97とか96とか、日本新が出る映像を夢見ながらレースを見るんです。
実際は本当に頭が真っ白になって、現実とは受け入れられなかった。
願いはかなうなという、いい経験をさせてもらった。願わないとダメですね。本当に親孝行です」
(引用:スポーツ報知
https://news.yahoo.co.jp/articles/4d9e80f2ef3b57bfb0461307904bf4e6c33896ff )
低体重で生まれてからずっと見守ってきた山縣亮太さんの父・浩一さんの願い。
それは、最速の称号を手に入れた山縣亮太さんの大きな原動力となっているのかもしれません。
山縣亮太の母親は美津江!感動エピソードも

山縣亮太さんの母親・美津江さんをご紹介します。
- 名前:山縣美津江(やまがたみつえ)
- 生年月日:1958年前後
山縣亮太さんの母親・美津江さんは、父親・浩一さんの3歳年上です。
とっても品があって美人ですね!
お互いに自慢の母子
山縣亮太さんは、母親・美津江さんととっても仲良し。
初任給の使い道を母親・美津江さんの為に使うとコメントしています。
「給料をもらったらまず親に何か買ってあげたいなと思います。
気持ちを表せるもので。
母親が梅酒が好きなので梅酒を買ってあげようかな」
(引用:https://cyclestyle.net/article/2015/04/02/21506.html)
山縣亮太さんの母親・美津江さんが住んでいる広島は、酒どころとして有名ですね。
初任給で購入した梅酒を、ご家族で楽しまれたのかもしれません。
山縣亮太さんは、とってもご家族を大切にしています。
2016年のリオデジャネイロオリンピックの代表内定が決定した際、山縣亮太さんは、
「両親がいなければここまで陸上を続けてこれなかった」
とコメントしています。
それに対し、母親・美津江さんは、
「こんなに恵まれた母は世界中を探してもいないと思います」
と、話されています。
お互いを大事に尊重しあう、素敵な親子ですね。
山縣亮太を未熟児から育ててくれた父母

そんな母親思いの山縣亮太さんですが、出産時にはこんなエピソードがあるようです。
NHKのプロフェッショナルでも取り上げられていました。
山縣亮太さんには、生まれた時から試練が。
1992年6月10日に、母親・美津江さんから1730グラムの未熟児で生まれたのです。
- NICU(新生児集中治療室)で55日間
- 予定より2カ月早く産声をあげた体にはチューブが通され、繰り返される弱弱しい呼吸
父親・浩一さんのノートには当時の胸中が記されていました。
「助けてください」
「亮太が無事に育つことを祈る」
山縣亮太さんの身体の弱さは、1年間の外出禁止が解かれた日に出掛けた三重県の伊勢でも緊急入院してしまうほどでした。
いつ途切れてもおかしくない命を紡いだ、父親・浩一さんのノートを山縣亮太さんは見たことはありません。
だからこそ、山縣亮太さんは家族への感謝は絶対に忘れないそうです。
それは、朝起きて故郷・広島を向いて手を合わせる、山縣亮太さんの習慣に現れています。
山縣亮太の兄弟は2歳上の昌平
山縣亮太さんの兄・昌平さんをご紹介します。
- 名前:山縣昌平(やまがたしょうへい)
- 生年月日:1990年
兄・昌平さんは、山縣亮太さんの2歳年上のお兄さんです。
山縣亮太さんが陸上を始めるきっかけになった方でもあります。
陸上を意識したのは小学3年生の時だ。
2つ上の兄が広島市のスポーツ交歓大会100mで7位に入賞して賞状をもらってきた。
「その賞状がすごく大きくて。うらやましいなって」
引用:文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/45987?page=2
その次の年、兄・昌平さんが出場した大会に山縣亮太さんも出場。
そこで山縣亮太さんの走りが陸上クラブの関係者の目にとまり、本格的に陸上への道を歩み始めたそうです。
山縣亮太さんの兄・昌平さんも、運動神経抜群なのかもしれませんね。
現在の職業などはわかりませんでしたが、学生時代のエピソードを発見しました。
山縣亮太オリンピック決定だって!やば!★★★山縣亮太のWikipediaできとった!やば!笑 Yahooの検索の候補?みたいなとこに「山縣亮太 イケメン」ってあった!やば!笑笑 兄の昌平の方は机に5日前の甘納豆パンを隠してた人なのに!やば!!笑 林先生は大喜びだろうな★★★
— たかゆい (@kykyf26) June 11, 2012
兄・昌平さん、ユーモアなかたですね。
山縣亮太のプロフィール

山縣亮太さんのプロフィールをご紹介します。
- 名前:山縣亮太(やまがたりょうた)
- 生年月日:1992年6月10日(29歳)
- 出身地:広島県広島市
- 最終学歴:慶応大学
(年齢は2021年8月現在)
山縣亮太さんの輝かしい経歴をご紹介します。
2016年 | リオデジャネイロオリンピック 4×100mR銀 |
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2018年 | アジア競技大会 4×100mR金 |
2018年 | アジア競技大会 100m 銅 |
2013年 | 東アジア競技大会 4×100mR金 |
2013年 | 東アジア競技大会 100m 銀 |
2021年に100m走を日本新記録の9秒95を出すなど、日本最速の称号を手にしています。
1730gという低体重で生まれてきた山縣亮太さんですが、幼い頃から足が速かったようです。
- 小学校一年生の時子犬と遊んでいたら怒った母犬が追いかけてきて、犬より早く走って逃げた
- (比喩ではなく)車と競争
小学生の頃は野球と陸上をやっていましたが、徐々に陸上へとシフトしていきました。
また、山縣亮太さんが就職活動で悩んだ時は、ご両親に相談されたそうです。
大学3年の冬、腰痛を発症したこともあって、自身の進路に頭を悩ませていた。
「このまま走り続けていいのだろうか――」
そう聞くと、逆に父の浩一から問い掛けられた。
「お前はどうしたいんだ」
「改めてそう聞かれた瞬間、やっぱり『走りたい』と思ったんですよね」
引用:文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/45987?page=2
自然に山縣亮太さんの背中を押してくれる、素敵なご両親です。
「亮太は生まれたときに生きるか死ぬかという試練を経験した。
だから、これからどんな困難があってもどうにかなるだろう」
引用:現代ビジネス https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84389?page=3
山縣亮太さんが生き生きと走る姿を誰よりも待ち望んでいるのは、父親・浩一さんと母親・美津江さんなのかもしれません。
まとめ
今回は、山縣亮太さんのご家族、父親や母親・兄弟についてお届けしました。
低体重で生まれ、父母や兄の支えの元で数々の怪我を乗り越えてきた山縣亮太さん。
今後の活躍が楽しみでなりません。
https://www.festvainqueur.com/yamagataryota-father/

https://www.festvainqueur.com/yamagataryota-sokkuri/